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マガジン9番共謀罪成立後論

 

maga9.jp

共謀罪」法が成立した。

 多くの反対の声を無視し、踏みにじるというおなじみのやり方で。

 そんな共謀罪について、この連載で「私のガサ入れ体験」という原稿を書いたところ、朝日新聞から取材依頼があり、共謀罪が成立した日の夕刊に「ガサ入れされた当事者」として記事が掲載された。「家宅捜索で日記読まれ…雨宮処凛さんに聞く『共謀罪』」というタイトルで。

 連載の記事、そして朝日新聞の記事への反響は驚くほど多くあったのだが、その中で、まさに「共謀罪」を考える上で象徴的とも言える意見が多くあったので紹介したい。

 それは「北朝鮮なんか行くんだからガサ入れされて当然」「そもそも政府に怪しまれるようなことをしたら家宅捜索されるに決まってる」「運動をするんだったらこれくらいされて当たり前」「ガサ入れされたくないなら、あれこれしなければいい」などというものだ。

 「共謀罪」の重要な論点は、こういった言葉に見事に凝縮されていると思う。

「中略」さて、共謀罪が成立した後の社会はどうなるのだろうか。

 素朴に考えても、共謀罪が成立して1年経ったところで、「共謀罪の対象となる人はいませんでした」ということでは、いろいろとメンツが立たないだろう。特に20年のオリンピックに向けて必要だとあれほど力説したのだ。オリンピック開催前までに一人も逮捕者が出なければ、「共謀罪、必要なくない?」という世論が出てくる可能性だって大いにある。そんな中、もし、自分が「取り締まる側」だったら?

 私が取り締まる側だったら、そういう世論が怖いから、とにかく誰か捕まえたいと思うかもしれない。それだけではない。ノルマとか出世とか自己保身とか上司受けとか、そういうことのためにも、捕まえておいた方がいいだろう、という計算が働かないなんて誰にも言えない。

 取り締まる側だって人間だ。出世や昇給なんかだって気になるだろう。その時、多少強引で「でっち上げ」だと批判される可能性があるにしても、世論は「政府に盾突いて捕まる方が悪い」という意見が圧倒的多数なのだ、という確信があったら? はっきり言って、無敵である。そんな中、私たちがこれからできることは、徹底した権力への監視と、分断の画策への抵抗である。

 ちなみに、朝日新聞のガサ入れ記事には、「取り締まり側」の意見も載っている。

 公安部門を担当した「元検察幹部」は、共謀罪について、反原発運動や反基地運動などを念頭に「当然、対象になる」と語っている。

 また、北海道警の裏金問題を告発した元道警の原田宏二氏は、「一般人」の定義を「政府のやることに反対しない人」とし、「警察が脅威になりうると判断すれば監視対象になる」とみている。

 今、思い出すのは、08年、G8サミットが北海道で開催された際のデモで、4人の逮捕者が出たことだ。

「中略」

 G8には、日本中から2万人の警察が動員されていた。「世界のことをたった8人で決めるな」という思いを持った人々が日本中、そして世界中から集まり、G8サミットへの疑問を訴えるデモなどに対して、それだけの警察が動員されたのである。

 そんな警察の人々はデモ隊に対して異様に挑発的で、今だったら考えられないことだが、大阪府警などはデモ参加者に向かってデモ中ずーっと「このヤクザ!」「チンピラ野郎!」と罵声を浴びせていた。デモ参加者を完全に「犯罪者」のような扱いで見る警察によって4人が逮捕されたわけだが、その後、みんなで話したのは、「警察のメンツ」という問題だった。

 G8サミットという大イベントのために、日本中から2万人も動員された警察。交通費や宿泊費や食費だって相当の額になるだろう。それくらい予算を使っている中で、「2万人の警察が動員されたものの、デモ参加者は全員法律を守って無事デモは終わりました」なんてことになったら、おそらく「警察のメンツ」は丸つぶれだろう。メチャクチャな逮捕の背景には、そんなこともあるのではないか。そんな話をしてから9年後、共謀罪は成立してしまった。

 怪しまれたくないんだったら、何もしなければいい。余計なことを言わず、考えなければいい。残念ながら、そんな空気は今後更に濃厚になっていく気がする。しかし、それは共謀罪などなくとも、この国に漂っていた空気と大して変わらないものでもある。

 この国の大半の人々は、「声を上げる人」が嫌いだ。主張する人を見るとイライラする。それはこの国で「普通」に生きていたら、消費者としての教育しか受ける機会がないからだ。一人の主権者としての教育など、私たちはまったく受ける機会もなく、ただ「消費者」であることだけを求められる。結果、量産されるのは、企業に対してクレーマーにはなるけれど、政治に対してものを言おうなんて発想すらなく、消費者としてどこまでも尊大に振る舞うものの、「お上」には常に従順な「国民」だ。

 だけど、それでいいのだろうか?

 私は、嫌だ。

 3・11後、脱原発デモがさかんになった頃、海外メディアは「日本がやっと普通の国になった」と評した。それまでの日本は、独裁国家でもないのに市民が声を上げない不気味な国として見られていたのだ。「政府にもの言うなんて一般人じゃない」というこの国の「常識」は、世界では「非常識」である。

 今、できることは、まずは消費者マインドから脱却することではないだろうか。

 一人の有権者として、一人の大人として、マトモに政治と向き合い、考え、発信し、議論すること。

 この「当たり前」を始めることからしか、きっと何も始まらないのだと思う。

第418回:共謀罪成立、これから起こり得ること。の巻 | マガジン9

 

長すぎたので省略しました。共謀罪成立がきっかけでほとんどの国民が権威主義者に成り下がるかもしれない。だが、逆に危険を感じて委縮ではなくむしろ戦いつづけるものが増えるかもしれない・もしかしたら小林よしのりのブログ読んでたのかもしれないな。↓

木村草太氏の発言はこうだ

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