ユーヤ・ペンギンblog・はてなヴァージョン

ようこそユーヤ・ペンギンのハテなブログへ

用こそデイビッドのグータラブログへ。はてなダイアリーでも書いてるのでよろしく。

聖書バカ・Michaelを君たちはどうお思う?俺はいかれてると思ってます

皆さんは見たことあるかな?真の聖書福音と予言を。俺はこのブログ見て思った、やつは、Michaelは絶望者で聖書バカだってことを。

 

profile.ameba.jp

 

冗談ではなく、地上の世界はサタンの支配下にあります。今の世の中おかしいと感じたことはありませんか。そう感じたことがなければ、あなた自身が悪魔崇拝者か非常に鈍感な人です。もし感じているのであれば、その通りです。おかしいのです。しかし、世の中がおかしい原因について一度でも真剣に考えたことがありますか。もし、考えたこともなく、また、その内容を知りたいということであれば、是非私のブログを読んでみてください。

ところで、聖書を読んだことはありますか。聖書はクリスチャンだけのものではありません。全世界の人に関係することです。そして、聖書は、世界で最も重要かつ、多く読まれている書物です。聖書を敢えて読まず、主イエス・キリストを信じない人は、この俗世界で搾取され続けた挙句、悔い改めることもないので、おそらく滅びの運命でしょう。知らなかったでは済まないのです。今の時代、大人が聖書や主イエス・キリストの存在をまったく知らずに死ぬことはまずないでしょうから。特に、日本人にとっては聖書というのはキリスト教に触れたことがない限り、読む機会に恵まれないでしょう。それもそのはずです。偽ユダヤ人をはじめとする悪魔崇拝者が敢えて古代イスラエル人の血統の可能性が高い日本人に聖書を読んで欲しくないから、キリスト教を普及させなかったのです。その元凶は天皇と裏にいるアメリカとローマ教皇です。はっきり言っておきますが、天皇は日本人の味方ではありません。昭和天皇の戦犯、神格化から懲りてください、と私がいくら言っても、聞き入れない人は頑なに聞き入れないでしょう。良心に焼印を押されているからです。

今の世のバチカンをはじめとする世のすべてのキリスト教は、偽キリスト教です。カトリックとかプロテスタントとか、そういう派閥はどうでもいいのです。今では、どちらも真実ではないからです。真理は一つしかないのに、教派が分かれること自体意味不明です。信じるべきは、聖書のみであり、地上の諸教会、諸教派、牧師たちでもありません。特に、カトリックは明らかに聖書の教えに反しているので完全な偽キリスト教です。詳細は、私のブログで説明済です。聖書のみに依拠してイエスを信じて従う真のクリスチャンは、必ずしも教会に行く必要はありません。どこでも一人で聖書を読んで、祈ったり、信仰を守ることはできます。キリスト教徒は教会に行くものだ、賛美歌を歌うものだといった、そういう固定観念は捨ててください。そういう形だけに囚われて聖書の真理を知らずに本物の信仰を持たない者、持っていると勘違いしている者は、艱難が来ると背教するにわかクリスチャンです。

取り敢えず、聖書を持っていないなら、入手しましょう。電子版はお勧めしません。紙で読んだ方がいいです。あれだけの量は電子上で読むのは目に良くありませんし、長続きしません。そもそも、電気が無いと読めないのも困ります。日本語の聖書ならば、新共同訳の聖書を推奨します。使用されている用語が最も原語の発音に近いからです。例えば、ファリサイ派、ファラオ、ヘブライ、メシア、アルファのような単語が正確で、現代語訳で日常的に使用される日本語だからです。それよりも古い口語訳や文語訳では分かりにくい言い回しがありますし、上述の例で口語訳ではパリサイ派、パロ、ヘブル、メシヤ、アルパ等と誤った発音がそのまま文字化されており、違和感があるからです。また、日本語訳の聖書だけでは十分な聖書の理解が難しいので、原語(ヘブライ語ギリシア語)や英語等の他言語訳の聖書を併用することを推奨します。英語の聖書では、KJVが良いと言う人が多いですが、17世紀の古い英語なので理解が難しいです。よって、KJVを少し改訂したNKJVもありますが、私はESVを推奨します。日本語の聖書は訳に不備が多いので、できれば英語等の別の言語の聖書も併読することを強く推奨します。

聖書の真理と主イエスへの信仰が備わったら、何が善で何が悪か判断できるようになるかと思います。聖書は宗教ではありません。本来、人間が生きるべき指針と真理について書かれています。また、映画、音楽、ゲーム、神社、寺、宗教等身近にあるものがすべて悪魔的なものであると分かります。非聖書的な教えをする牧師、偽預言者、偽教師、偽善者の嘘もすべて見抜けます。バチカンローマ教皇フリーメーソンによって建国されたアメリカ、すべての秘密組織の裏にいるイエズス会アメリカの犬になっている日本の国会議員や官僚、公務員等すべてサタンに操られています。おそらく、日本人のほとんどは悪魔崇拝者というつもりで生きていないでしょうが、知らずに悪魔崇拝者のしもべになってお金や地位等の誘惑に負けて悪事を働いているので同等なのです。そもそも、神道、仏教、地蔵、先祖等の死者、太陽や月などの物質を信仰する時点で偶像礼拝をしているのです。神道や仏教等を肯定しようとして、都合の良い資料ばかり読んで安心するのであれば、救いようがないです。そんな日本人が多いからこそ、私は聖書とイエス・キリストの教えと聖書の真理を宣べ伝え続けます。

私は、主イエス・キリストによって、一人でも多くの人が救われるように願っています。

ameblo.jp

こんにちは。

 

今回は、終末の兆候と迫害の様子について書きます。

 

この世の終末はキリストの再臨の時であり、その時にこの地上は滅び去ると聖書に書かれているとおりに今まで申してきました。そして、終末の前には聖書に書かれていることがことごとく実現します。複数の福音書旧約聖書に書かれている終末の兆候も起こります。それらを基に話を進めていきます。

 

新約聖書 マタイによる福音書 24章15節

預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら―読者は悟れ―、

 

新約聖書 マルコによる福音書 13章14節

憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら―読者は悟れ―、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

 

新約聖書 ルカによる福音書 21章20~22節

エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。

 

上記すべてをまとめると以下のとおりです。

①預言者ダニエルが言った憎むべきもの、荒らすもの(ダニエル書9:27)が発生する。

②その時、神の民(霊的イスラエル人)は悟って山に逃げる。

③都会から離れ、田舎にいるべきである。そして、一度都会を出たら戻ってはならない。

④聖書に書かれているとおり、神の怒りが地上に注ぎ、獣の刻印を受けた反キリストたちに報復する。「中略」

新約聖書 ヨハネの黙示録 13章13節

そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。

 

上記聖句は、文脈上、第二の獣がする行いです。第二の獣がサタンの支配下にあることが明白であり、この第二の獣が何を示すかについては過去記事「神の刻印、獣の刻印と黙示録の獣」等で書いたとおりです。だから、散々私が注意喚起したとおり、奇跡の類や目に見える事象に安易に騙されないようにしなさい。サタンは自然災害のように見えるものだけでなく、病気の類も起こすことができるのは以下からも明白です。

 

旧約聖書 ヨブ記 2章7節

サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。

 

上記も訳が少し違い、英語では「loathsome sores」なので、「皮膚病」ではなく、「忌まわしい腫れ物」です。皮膚病ならば、skin diseaseかdermatosisを使います。腫れ物で思い出すのは、以下の聖句です。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 16章2節

そこで、第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地上に注ぐと、獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた。

 

上記聖句は、前回記事「サタンの本質と大艱難前の霊的備え」で述べたとおり、すべての人間の恩恵期間が終わった時、神の怒りが地上に注がれ始めます。新共同訳は「悪性のはれ物」と意訳していますが、英語では「painful sores」なので「痛みのある腫れ物」です。腫れ物ができる災いは出エジプト記9章で主なる神がエジプトに下した災いと同じで、soreとboilという単語が使われ、腫れ物、出来物という意味です。出エジプト記9:11に魔術師が腫れ物の故にモーセの前に立てなかったとあり、痛みを伴うことが分かります。このように、獣の刻印を受けている人は痛みを伴う腫れ物ができることであぶり出されます。なぜなら、大艱難に入った後は神が獣の刻印を受けた人間たちを完全に見捨てられるからです。それは律法に記されているとおり、神の呪いのしるしでもあります。

 

旧約聖書 申命記 28章27、35節

主は、エジプトのはれ物、潰瘍、できもの、皮癬などであなたを打たれ、あなたはいやされることはない。

(中略)

主は悪いはれ物を両膝や腿に生じさせ、あなたはいやされることはない。それはあなたの足の裏から頭のてっぺんまで増え広がる。

 

上記聖句のように神の呪いを受けるのは、「あなたの神、主の御声に聞き従わず、今日私が命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。あなたは町にいても呪われ、野にいても呪われる。」(申命記28:15~16)のとおりです。ですから、痛みを伴う腫れ物ができるのも、獣の刻印を受けるのも、神の律法、掟、戒めのすべてに従わないことに起因することが明白です。もしあなたが今まで神の律法、掟、戒めを守っていなかったのならば、悔い改める機会は今のうちです。あなたが都会にいようが田舎にいようが関係なく、どこにいても全知全能の神から隠れることはできません。神を愛して、神の律法、掟、戒めを喜んで守り、主イエスを信じて模範として従順に従い、大艱難が来る前にキリストに近い品性を築き上げておかなければ、必ずふるい落とされ、聖書の真理に反するNWOに従って獣の刻印を受けます。この警告を真剣に受け取らないで大艱難を迎える者は、以下のとおり行動するでしょう。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 16章11節

苦痛とはれ物のゆえに天の神を冒涜し、その行いを悔い改めようとはしなかった。

 

人々が悔い改めようとしなかったのは、聖書に書かれた神の御言葉を信じない、または軽んじて悔い改める機会があっても悔い改めない報いとして獣の刻印を受け、滅びの運命が決定しているからです。主イエスも大艱難が始まれば、もはや罪を赦す働きもされないからです。ですから、獣の刻印を受けた者は手遅れで、悔い改めることは不可能になり、神を冒涜して罪を増し加えるのです。

 

さて、上述したダニエル書に注目しましょう。

 

旧約聖書 ダニエル書 9章27節

彼は一週の間、多くの者と同盟を固め

半週でいけにえと献げ物を廃止する。

憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。

 

上記聖句を7年の大艱難と主張する偽教師らの言うことには耳を傾けないでください。この内容については既に過去記事「ダニエル書の70週預言の真実」で書いたとおりです。ダニエル書9章は「定めの70週」なのに、2,000年以上の空白期間を途中に挿入すれば、もはや70週(490年)ではなくなることを彼らは理解していません。また、彼らは、私が過去記事「ダニエル書7章の預言と反キリスト」で書いたように、ダニエル書7章の「小さな角」とヨハネの黙示録の「獣」の関連性が分からない人たちです。さて、今注目するのは、最後の一週や半週のことではなく、「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」の箇所です。これが当記事の冒頭で引用した福音書の指し示す内容と繋がっています。荒らすものと憎むべきものについては、英語では「on the wing of abominations shall come one who makes desolate」と表現され、9章だけでなく、11章と12章にもまったく同じではないですが、似た表現が書かれています。

 

旧約聖書 ダニエル書 11章31節

彼は軍隊を派遣して、砦すなわち聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき荒廃をもたらすものを立てる。

 

上記の「憎むべき荒廃をもたらすもの」が英語では「the abomination that makes desolate.」となっています。

 

旧約聖書 ダニエル書 12章11節

日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。

 

上記の「憎むべき荒廃をもたらすもの」が英語では「the abomination that makes desolate」です。これらの表現は同じ単語が使用されており、同じものを指していることが分かります。そして、日本語でも「もの」と訳されているとおり、英語でも人間を表す言葉ではありません。マタイ24:15とマルコ13:14の「憎むべき破壊者」は、ダニエル書と同じで、英語では「the abomination of desolation」です。よって、破壊”者”として人物を思わせる訳し方は誤訳と言えます。よって、ダニエル書と同じ表現の「憎むべき荒廃をもたらすもの」と訂正すべきでしょう。abominationは嫌悪、嫌悪感を起こさせるものという意味で、desolationは荒廃、破壊という意味です。desolateは形容詞で、荒廃した、荒れたという意味で動詞としても使用可能の単語です。これは以下の聖句も同じ単語があります。

 

新約聖書 ルカによる福音書 16章15節

人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。

 

上記聖句の英語では「For what is exalted among men is an abomination in the sight of God.」です。ここでもabominationが使用され、忌み嫌われるものという意味です。世間には「常識」として勝手に作られた人間の教えや慣習、伝統があります。それらがいくら耳触りが良くても、多くの人々が支持しても問題ではありません。もしそれらが神の律法、掟、戒めや主イエス・キリストの教え、聖書の真理に合致しなければ、神にとっては嫌悪でしかないのです。ダニエルやメシャク、アベド、ネゴの信仰もダニエル書から分かります。ダニエル書3章では、メシャク、アベド、ネゴの3人がネブカドネツァル王が造った金の偶像を拝むことを拒み、主なる神だけを礼拝する姿勢を崩さず、火が燃え盛る炉に投げ込まれましたが神に保護されて何の害も受けませんでした。ダニエル書6章では、ダニエルに敵意を抱いた同僚の大臣や総督が悪しき計略によって人間の法律によって主なる神への礼拝を禁止させました。しかし、ダニエルはその法律を無視して主なる神への祈りを欠かさず継続した結果、法律違反として捕まり、獅子の洞窟に投げ込まれましたが一切危害を受けませんでした。私が複数の過去記事で警告したとおり、これらと似たようなことが大艱難には起こるでしょう。これ程の固い信仰を真のクリスチャンは持っていなければならないのです。今まで何度も述べてきましたが、他人から犯罪者扱い、変人扱いされるのが怖い、投獄が怖い、神のことを思わず人間の評価や法律を恐れる人は真のクリスチャンではありません。多くの人々は他人の目や評判、自分の保身のために人間の法律に従って善人を装っています。しかし、彼らは神の目には善人ではありません。彼らは神の律法、掟、戒めを最初から守らないか、途中で守らなくなるでしょう。特に命がかかった場合はいとも簡単に屈するでしょう。これこそが世に属する人間の本性です。私が、にわかクリスチャンと呼んでいる人々は、このような艱難が来たら簡単に信仰を捨てる、自分の命や財産等が神の律法、掟、戒めを守ることよりも大事だと思う平和な時だけクリスチャンを装う一時的な信仰者のことです。過去に兄弟から相談を受けたことがありましたが、日本の文化や慣習、特に仏教式の葬儀等、周囲から圧力が加わる場面に直面することもあるでしょう。しかし、主イエスへの信仰を公に言い表さず、世間体を気にして周囲の圧力に屈したら、結局は異教徒や不信仰の者と何ら変わりありません。心の中ではイエス・キリストを信じているから大丈夫ではありません。心からイエス・キリストを主と信じているなら、行いで信仰を示す必要があります。神が忌み嫌う偶像礼拝をはじめとする神の律法に反する事柄は毅然と反対するべきです。それができないならば、臆病者のにわかクリスチャンです。地上の権力者や周囲の人間を恐れず、人間の法律や慣習をはじめとするどんな圧力にも屈せず、私たちの救い主である主イエス・キリストだけを崇め、礼拝しましょう。「中略」

上記聖句は、終わりの時が来る直前期の大艱難時、神の民が受ける迫害の様子です。神の民は、主イエスの御名のため、主イエスの御名が刻まれた神の刻印、即ち、聖書どおりの安息日を遵守するが故に遭う迫害です。多くの者が律法は廃止されたから守らなくてよい、主イエスさえ信じていれば大丈夫、福音の三要素だけ信じれば大丈夫等という甘言を言いますが、間違っているということは過去記事「プロテスタントの致命的な間違い」で説明したとおりです。兄弟たち、私たちを助ける者は少ないですが、恐れてはなりません。たとえ人間から見捨てられたり裏切られても、神はいつも見ていてくださり、神の律法や掟を守って主イエスに従順であれば見捨てられることはありません。主イエスの十字架の死に至るまでの従順さに倣い、私たちもその覚悟をし、備えなければいけません。人間に従うよりは神に従う使徒言行録5:29参照)という確固たる信仰を持ちましょう。そして上記聖句からも明白なとおり、大艱難は神の民を練り清めるために必要な試練であり、これより前に携挙されると主張する艱難期前携挙説は偽りです。私が過去に何度も述べてきたとおり、艱難期前携挙説を信じて主張をする者、しきりに携挙ばかり言っている者、携挙に望みを置く携挙信仰をする者は兄弟ではありません。彼らは霊的に盲目で、自分たちが死にたくないと思うだけの臆病者です。彼らには神への愛はありませんし、兄弟愛もありません。このような者から離れ、このような者が集う教会から離れなさい。

 

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。

 

私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上

ameblo.jp

今回は、田舎への移動と近い将来実現する憲法改悪について語ります。

 

私が言う田舎とは、周りが草木ばかりで民家もまばらというような”ど田舎”と呼べる地域をはじめ、都会から離れた郊外、比較的小規模地方の町のことを指しています。必ずしも隔絶された孤立無援の地という訳ではありません。

ど田舎と呼べるような地域と言えば、以下のような風景を思い浮かべるでしょう。私が、ど田舎と言うのは客観的な意味であって、そのような地域に住む人を蔑んでいるのではありません。

 

 

画像引用元: http://minkara.carview.co.jp/userid/940432/blog/30856137/

 

比較的小規模の町も東京都内の新宿や渋谷、大阪の梅田や難波に比べれば田舎の部類でしょう。

例えば、以下のような所が郊外です。

 

画像引用元: http://www.goodrooms.jp/journal/?p=8266

 

上記は日本の風景であり、勿論、外国では国によって日本とは大きく異なった風景です。

 

現代の日本では、東京一極集中、中央集権の結果、東京に中央省庁があり、多くの人が地方から流入し、企業が本社を据えたり、商業繁栄してきました。しかし、その流れは2011年3月11日の東日本大震災以降、現在では少しずつ変わりつつあります。変わりつつあるのであって、現在のところ、まだ完全に流れが変わったと言っているのではありません。依然として、東京一極集中状態には変わりありません。しかし、これが近い将来非常に危険であることが否応無しに分かるでしょう。建物が密集した都会ならば地震等の災害や人々の暴動、争いが起これば以下のような姿になります。

 

画像引用元: https://www.bustle.com/articles/83918-is-san-andreas-scientifically-accurate-it-might-not-be-perfect-but-theres-some-solid-truth-to

 

2020年に東京オリンピックが開催されるので見に行きたいからとか、都会は便利だからといって、このまま東京や東京の近くの神奈川や千葉、埼玉等に住み続けたいと思っている人もいるかもしれませんが、そのような人たちは神の御言葉である聖書を信じないでしょうし、私の言うことも聞き入れない世に属する人間なので無視します。さて、今後、東京、及び東京近郊の都市に住むことの何が問題なのでしょうか。大地震の被害をまともに受けた人なら実感してお分かりでしょうが、大地震等の大きな災害が都市を襲えば、すべての都市機能が簡単に麻痺します。電車は動かない、道路は交通規制によって車移動が困難になり、建物は倒壊し、あちらこちらで火事が起き、火事場泥棒というような者も現れて窃盗や強盗も起き、強姦等の性犯罪も誘発され、スーパーやコンビニからは商品が早々に消えて品切れ状態が続き、水道、ガス、電気も止まります。ある日急にそうなったら、あなたはどうやって生きて行くつもりなのでしょうか。多くの人間は平穏無事な時、非常時の備えをしないし、考えもしないのでしょうが、起こってからでは遅いのです。事が起こってから「あぁ、事前に準備しておけば良かった。」、「田舎に移動していればよかった。」等と後悔しても遅いです。大災害が襲ったら、あなたがそのような後悔をする余裕がある状況であるかさえも分からず、生き延びることができるかどうかも分かりません。倒壊した建物の下敷きや身動きできず火事で焼死する可能性もあります。このように大都会で生きることは危険と隣り合わせであることを認識するべきです。今後、この地上で長く平穏無事な状態が続くと思わないことです。

 

都会を離れて田舎に移ろうと思っても、お金や仕事等といった問題は誰にでも直面することです。現在でも郊外に住んでいながら都心に仕事をしに行っている人が多いでしょう。しかし、私が言う田舎に移動するというのは、住居のみならず生活拠点をも田舎に移動させることを意味しています。しかし、もし神があなたに田舎に移動することを望んでいるのに、それを無視したり、逆らったりすることが正しいことなのでしょうか。前回記事「聖書が教える真のイスラエル人」や過去記事「人生の過去と主イエスに従う覚悟」でも説明したことを思い出しましょう。

 

新約聖書 ヘブライ人への手紙 11章8節

信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。

 

上記聖句のように、「信仰によって」と条件が付されていることに注目すべきです。信仰ありきで行動することが重要です。自分の利己心が原因で、転居する機会を拒絶したり、転居先を決めるのは神の御心ではありません。なぜなら、それは自分の利己心を神の導きよりも優先しており、自分を捨てていないからです。複数の過去記事で既に申したとおり、主イエスの御言葉で「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23)とあるとおりです。自分を捨てて、主イエスに完全に服従しなければいけません。神から別の場所に導かれたなら、それに従うことは神の御心に適うことです。神の導きに従った結果、時に、それは枕する所も無い場所や枕がある保証も無い場合であってもです。アブラハムの信仰が義であると主なる神に認められたのも行いからです。創世記12:1以降、主なる神は、アブラハムに生まれ故郷を離れて神が示す地に行くように指示されました。出発当時、アブラハムは75歳でした。年齢なんて関係ありません。ただ神に従順かが問われるのです。アブラハムは神に従順だった結果、義と認められました(創世記15:6、ローマ4:3,9,22、ガラテヤ3:6、ヤコブ2:23)。仮に、アブラハムが地元を離れたくないとか、見知らぬ土地に行きたくないと利己心から従わなかったら、彼は神から見放されたことでしょう。それはあなたがたも例外ではありません。神に従順ではないならば、切り取られて捨てられることは、前回記事「聖書が教える真のイスラエル人」でも説明済です。

 

神に導かれて信仰に入り、真のクリスチャンへと成長するには大都会のような世俗的な誘惑の多い所から離れ、自分自身を冷静に見つめ直し、神のことを思い、聖書の真理を知るためのまとまった時間を持つと良いです安息日に神と個別の関係を築くことをすべきだと過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」で述べましたが、これは必要不可欠であるとともに最低限です。金曜日の日没から土曜日の日没までの安息日以外は神のことを考えなくてよいということではありません。むしろ、考えなくなるようでは問題です。また、平日は忙しいからといって聖書をまったく読まないのでもダメです。世俗のことで忙しいと言い訳をする時点で、自分は世に属する人間だと言っているようなものです。

 

ところで、いつ田舎に行くべきなのでしょうか。あなたはどう思いますか。艱難が目の前に来てから移動すれば十分だと思いますか。あるいは、ヨハネの黙示録13章にあるとおり、獣の刻印を受けなければ売買ができなくなるような事態になってから移動するのが良いと思っているのでしょうか。私は、そのように誰にでも分かる危機的状態になってから移動するのでは遅いし、場合によっては移動したくてもできないと思っています。その事態になるまで肉の思いで頑なに田舎への移動をためらってきたり、拒んだりした報いがその時に来るでしょう。

しかし、誤解して欲しくないこととして、私はあなたに何がなんでも田舎に行くように強要しているのではありません。神の導きは人それぞれ違いますから、時期も場所も人それぞれ違います。真のクリスチャンが皆揃って同じ時期、同じ場所に移動するのではありません。諸事情により今すぐに都会を離れて田舎に移動することができなくてもいるでしょうが、そのような兆しや機会を見出せたなら、拒まないことが重要です。勿論、都会でしかできない神のための働きがあるならば、それも良いでしょう。しかし、都会に残る理由の根底に人間の利己心がある場合、または田舎に移動する理由が艱難から逃げたいという臆病風に吹かれるのでは神の御心とは到底言えません。神に導かれるならば、人それぞれ違った方法や機会が神によって与えられます。何でも神が導いてくれるから自分自身では何もしなくてよいという怠惰になってはいけません。「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。」(フィリピ2:12)のとおり、人間自身での努力も必要になります。何でも神がやってくれるから自分は何もしなくて良いというのは、神に頼っているのではなく、怠け者に過ぎません。行動するのは人間自身であり、故意に行動しないのは怠惰な者です。怠け者について聖書は多く警告しています。

 

旧約聖書 箴言 6章6~10節

怠け者よ、蟻のところに行って見よ。

その道を見て、知恵を得よ。

蟻には首領もなく、指揮官も支配者もいないが

夏の間にパンを備え、刈り入れ時食糧を集める。

怠け者よ、いつまで横になっているのか。

いつ、眠りから起き上がるのか。

しばらく眠り、しばらくまどろみ

しばらく手をこまぬいて、また横になる。

 

旧約聖書 箴言 20章4~10節

怠け者は冬になっても耕さず

刈り入れの時に求めるが何もない。

 

旧約聖書 箴言 21章25節

怠け者は自分の欲望に殺される。

彼の手が働くことを拒むからだ。

 

旧約聖書 箴言 26章16節

怠け者は自分を賢者だと思い込む

聡明な答えのできる人七人にもまさって。

 

このように、自分で何もしようとしない人は単なる怠け者なのです。ですから、複数の過去記事で行いの重要性を宣べ伝えてきました。行いは、強制されてするのでもなく、義務感からするのでもなく、救いが欲しくてするのでもありません。主イエス・キリストへの信仰の故に自然にすることなのです。ですから、正しい信仰から来る行いは善い業であり、利己心や肉の欲等も存在しないはずです。反対に、間違った信仰、または利己心等から来る行いは善い業に装った偽善行為でしかありません。

真のクリスチャンは、都会を離れて田舎の方に移動する傾向があると思います。勿論、田舎に移動する者や田舎に住む者の全員が真のクリスチャンという訳ではありません。単にある特定の田舎の地域に生まれるか、長く住んでいるからという理由から発生する地元愛からそこに住んでいるだけの不信仰の者や異教徒もいるからです。都会ではキリストに近い品性を形成するのは非常に難しいです。都会には罪への誘惑が多いし、世に属する人間の数が多いです。そのような悪影響から離れる意味でも重要な意味を持ちます。都会よりも田舎の方が霊的成長やキリストに近い品性の形成がし易いことは言えます。特に、子供の教育、健全な発育には田舎の方が良いでしょう。だからと言って、田舎に行けば絶対に安心という訳でもありません。都会と違って遊びに行く場所が無く、何もすることがないからと言って家でゲームに夢中になったり、漫画や雑誌を読んだり、ネットでくだらない動画視聴等に時間を割いているようでは田舎に住む意味がまったくありません。また、田舎に行っても偽預言者や偽教師等の偽りの教えを信じたり、偽預言者や偽教師そのものになることもいけません。

 

「中略」

 

上述したとおり、田舎に移動することは霊的成長、キリストに近い品性形成のためには理想的な環境なのですが、神の御計画は単純なものではなく、人間には完全に分からないものですから、都会でそれが実現不可能とまでは言いません。神からの召命で、都会での働きをするためにいる人もいることでしょう。しかし、肉の思い、肉の欲等が原因で都会にいるのは完全に誤った道であることは確かです。過去記事で話をしたとおり、第三次世界大戦や大地震等の大規模な災害が起ころうものなら、都会で真っ先に暴動や争い等の混乱が見られるでしょう。そして、その時になって田舎に移動したいとか海外に行きたいと思っても行けなくなっているでしょう。いつでも自由に住みたい所に住んで、海外も含めて行きたい所に行けるのは、はっきり言って今のうちです。憲法改悪以後は、基本的人権はすべて制限されているので、日本国憲法憲法が保障する居住移転と職業選択の自由(第22条1項)も無いに等しくなっているでしょう。以下のとおりです。

 

日本国憲法 第22条1項

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 

自民党改憲草案 第22条1項

何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 

上記だけを比較すると改憲草案の方が公共の福祉という制約が無いので良いのではと思うかもしれませんが、巧妙なトリックが隠されています。自民党改憲草案第12条を見ると分かります。

 

自民党改憲草案 第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

 

上記のとおり、"常に"公益及び公の秩序に反してはならないとありますから、政府の決めた秩序、その政府を操るアメリカと背後にいるローマ教皇の秩序、即ち、新世界秩序(NWO)に従わなければ生きていけなくなるということです。NWOに従わないと自民党改憲草案第12条が脅しているように「自由及び権利には責任及び義務が伴う」とあるとおり、NWOに従うことが強制され、もし国民が逆らったら権力者が制裁を課すということです。過去に申してきたとおり、イエス・キリストに従うのか、ローマ教皇を筆頭とする反キリストに従うのかの選択が迫られているのです。自民党改憲草案は他にも内閣の無制限の独裁を認める緊急事態条項の新設や人権よりもNWOを上にする問題だらけの内容です。今まで複数の過去記事でこの緊急事態条項の危険性について言及しましたが実際にその草案を見てみましょう。

 

自民党改憲草案 第98条

内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、

閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

2

緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。

3

内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。

4

第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。

この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

 

自民党改憲草案 第99条

緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

2

前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

3

緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

4

緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 

改憲草案98条のように、首相は簡単に緊急事態の宣言をして、人工地震や気象操作による人工台風等を引き起こせば故意に緊急事態にすることが可能になります。要するに、首相の一存で勝手にできる緊急事態宣言の発動要件が緩過ぎるのです。国会の承認が必要とありますが、与野党グルですから、簡単に承認されますのでこんな条文の存在意義はありません。また、改憲草案99条3項が恐ろしく、「国その他公の機関の指示に従わなければならない。」とあり、FEMA武装した警察の指示に従い、FEMAキャンプのような収容所に行くように言われたらそれに従わなければいけないのです。反抗しても結果的に同じで身柄拘束されるでしょう。人権に配慮するような文言もありますが、上述で説明済のとおり、改憲草案12条が大前提であり、国民の人権よりもNWOが重要視されているのです。緊急事態条項の危険性については、こちらYouTube)やこちらYouTube)が参考になるでしょう。また、こちらYouTube)とこちらYouTube)も必ず見てください。約80年前のドイツのヒトラー政権の失敗を日本で繰り返そうとしています。むしろ、日本の内閣は故意になぞっているのです。麻生副総理の「ナチスの手口を学んだらどうか」発言からも明白です。参考までにこちら(JCASTニュース)。発言を撤回したのは表向きであり、内心は変わらず、それが憲法改悪の動きに現れています。緊急事態条項の危険性がよく分かると思います。そして、これをできるだけ多くの人に知らせてください。政府やネトサポらは緊急事態条項が必要だとか肯定することばかりを東日本大震災のような人工地震をダシに言いますが絶対に騙されないでください。憲法が改悪されたら日本は終わりです。日本国民は人間扱いされなくなります。この事実を知ってもなお、あなたは日本国民であることを誇るでしょうか。海外に移住しただけでは国籍は変わりません。滞在許可と国籍は別物です。日本は国籍法により、二重国籍を認めていません。他の国の国籍を取得するなら、日本国籍は放棄しなければなりません。移住先の国にもよるでしょうが、暮らした年数や言語能力やその土地への適応性も関係します。しかし、例外的に簡単に国籍変更や移住できる国もいくつかあるようです。気になる方は、参考までにこちら(海外で暮らす男の日常)やこちら(QlaDoorクラドーア)。

 

「中略」

 

上述で田舎に移動することを述べてきましたが、多くの人々が都会にいるのに、どうやって伝道するのかと思うでしょう。それを解消する一つの手段がインターネットです。ネットであれば、場所を問わず可能です。距離も時差も関係なく、各自が読みたい時に読めます。それは聖書と一緒です。すぐ手許にあって、読みたい時に何度でも読めます。聖書は必ず紙媒体で持っていましょう。Kindleスマホ用アプリでは電気や端末がないと読めないという制約を考えましょう。ただし、聖書や当ブログを読めるのも言論の自由、信教の自由がある間のことです。今のうちに何度も読み返し、心に刻んでおいてください。何度も申したとおり、日本においては、2020年に憲法改悪を施行予定で、2018年中に国会で憲法改正の発議を目論んでいます。参考までにこちら(BUSINESS INSIDER)。施行という言葉の意味を分かっていますか。法律用語であり、公布と施行は異なります。公布は世間に発表することですが、実際に運用されるのが施行です。過去記事「共謀罪、刑事手続、反キリストと新世界秩序、RAPT教というカルト」で、共謀罪の公布日と施行日について言及したとおりです。共謀罪の公布日は2017年6月21日で、施行日が2017年7月11日でした。2020年に自民党改憲草案に改悪した憲法を施行させようと第二の獣であるアメリの指示で日本政府は動いているのです。日本は随分前からアメリカの属国であるということを覚えておいてください。

 

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。

 

私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上

 

ameblo.jp

 

こいつはイエスキリストしか信用できないんだな。ある意味イエスキリスト馬鹿だな!オカルトバカともいえるかもしれない。インチキだらけの陰謀論も信じてるし。絶望の言葉ならべただけの駄文だ!!!!長すぎる!!!!!!