ユーヤ・ペンギンblog・はてなヴァージョン

ようこそユーヤ・ペンギンのハテなブログへ

用こそデイビッドのグータラブログへ。はてなダイアリーでも書いてるのでよろしく。

令和まであと4か。アゴラ編

平成から令和の時空の狭間で天皇の譲位を考える – アゴラ

 

今上陛下平成31年4月30日に譲位され、5月1日に皇太子殿下即位されて令和改元される時も近づいた今、[過去記事]の一部を再掲しながら、天皇の譲位について考えてみたいと思います。(」中略

日本国の主権者である日本国民のアイデンティティの支柱として、高度の協調社会を維持する日本国民の統合の象徴として、そして世界から尊敬を受ける日本国民の精神の規範として、歴代の天皇の貢献は計り知れないものと考えられます。何よりも、今上天皇陛下におかれましては、法遵守の高潔な精神に基づく国事行為の滞りない遂行、国民の安寧と幸せを最優先する宮中祭祀の厳行、国民への奉仕のための頻繁な行幸、終わることのない戦没者の慰霊という形で、日本国民統合の象徴としてのお務めに御身を削られながら尽くされたと拝察します。このような背景の中で、皇室の伝統の継承について私たち国民は真剣に考える必要があると考えるところです。中略

 

譲位および廃位の理由を大別すると、次の4つのパターンが存在します。

(1)男系女性天皇が後継の男系男性天皇皇位を譲る
(2)心身の健康上の理由で皇位を譲る
(3)院政を行うために意図的に皇位を譲る
(4)政局により意に反して皇位を譲る

複合的な理由も考えられますが、通説を踏まえた上であえてそれぞれの譲位の行為を一つの理由に集約すると、あくまで私の見立てでは、(1)6例、(2)13例、(3)24例、(4)16例、が存在します。(1)については、もともと中継ぎとして践祚した女性天皇が、後継の男性天皇の成長を確認して、真の意味での譲位を行ったものです。そもそも譲位の歴史は、このパターンから始まりました(皇極天皇の譲位)。(2)については、女性天皇である元明天皇が高齢を理由に譲位したことから始まります。その2代後に聖武天皇が心労を理由に譲位したのが男性天皇初の譲位です。(3)については、譲位の理由として最も多いものであり、嵯峨天皇大覚寺を拠点にして院政を行ったのが始まりです。平安時代後期になると、白河天皇が譲位して院政を行い、本格的な院政時代の幕開けとなりました。(4)については、淳仁天皇恵美押勝の乱藤原仲麻呂の乱)の連帯責任を取らされて廃帝されて以来、時の権力者の意向によって半強制的に退位させられる例が多々存在しています。

ここで、歴代天皇の即位・退位について、表とグラフを使ってより詳しく見て行きたいと思います。分析に用いる天皇のデータは、実年代をほぼ比定することができる第20代安康天皇の時代以降に誕生した第27代安閑天皇から第124代昭和天皇に至る98柱のデータとします。これによって、対象とするすべての天皇の実年齢を確定することができることになります。唯一生年が確定していない用明天皇については「540年誕生説」を採用しました。なお、時代の変遷に伴う傾向を捉える目的があるため、北朝のデータについては割愛しました。

中略

勿論、国民主権の日本国において、政治性を持たない天皇院政を引くことは論理的に不可能ですし、皇道を貫くために在位を希望する天皇を政局で退位させる政治家を国民が許容することも実際上はありえないと考えられますが、すべての不測の事態を排除する論理的な法整備は皇室制度を守るために必要と言えます。今上陛下の譲位によって、国民の総意と言えるほどの支持を背景とした穏やかな皇位継承が行われる今、普遍的で頑強な譲位の規定を慎重に模索することが重要であると考えます。

憲法第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く

憲法第2条
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する

天皇皇后両陛下におかれましては、長期間にわたって、日本国民のアイデンティティの支柱、日本国民の統合の象徴、そして日本国民の精神の規範として、数々の公務を見事に遂行されてこられました。日本国民として深く感謝いたします。

agora-web.jp