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ナチスは絶対悪!安倍政権も絶対悪だってこと忘れるな!!

東西ドイツ統合で、やっとナチ時代を総括。過去を現在の一部とし、同じ過ちを繰り返さないと自覚する「想起の文化」へ。日本では、それを自虐史観・自虐志向と呼ぶ!?

<ここから特別公開中>

石田「1955年のドイツ市民へのアンケート調査では、『ナチ時代はよかった。ヒトラーは、戦争さえしなければ偉大な指導者だった』という感想がずいぶんありました(48%)。また、1951年の意識調査で、『ドイツがもっともうまくいった時期はいつか?』と問うと、ナチ時代(1933年~1945年)の前半、つまりヒトラーの首相就任から開戦までの時期(1933年~1939年)と答えた人が41%いました。ヴァイマル共和国の時代は7%。ナチ時代の後半は2%でした」

岩上「石田先生の著書『過去の克服 ヒトラー後のドイツ』(白水社)には、戦後ドイツは、一夜にしてナチ批判をするようになったのではなく、相当な努力を積み重ねて成し遂げた、と書いてあります。ドイツがナチ時代の郷愁から脱皮できたのは、いつ頃なんですか?」

石田「1960年代ですね。このころゆっくりと社会の地殻変動が起こりました。戦後生まれの若者たちが、当時支配的な政治文化に異議申し立てを行い、ナチ時代の過去と曖昧な決着をつけてきた親の世代を告発するようになります。それはちょうど、社民党ヴィリー・ブラントが西ドイツの首相になる時期と重なります(ブラントはヴァイマル共和国末期に社民党共産党の融和を図ったが、実らず、ナチ時代は北欧に亡命して反独抵抗運動に関与した)。社民党は、ヒトラーに抵抗して授権法に反対した政党です。それが1969年に首相を出したのです。そのことの意味は大きかった。

 戦後、西ドイツ初代首相となったコンラート・アデナウアー(在任1949年~1963年。戦前は中央党)は、国内の政治的安定を求めて、社会がかつてのナチと非ナチの間で分断されることを恐れた。占領軍が進めた非ナチ化政策を、アデナウアーは白紙撤回し、旧ナチの社会統合を進めたのです。当然、ナチ時代の過去は不問に付されたわけです。60年代に若者たちが反発したのは、その風潮でした。

 1970年代以降、過去と向き合う姿勢が次第に目につくようになりますが、最大の転機は、1990年のドイツ統一東西ドイツ統合)でした。指導的な政治家がちゃんとステートメントを発信し、未解決のナチ被害者の補償問題に乗りだし、過去を安易に水に流すことはしないという姿勢になった。

 ナチ時代の反省を促す市民活動も盛んです。『想起の文化』と言って、ナチ時代の不法の犠牲者を想い起こし、過去を現在の一部にして、同じ過ちを繰り返してはいけないと自覚する。ただそんなドイツでも、今はネオナチや難民問題の深刻化のせいで、かなり不穏な状況になっていますが」

岩上「日本では、それを自虐史観・自虐志向と呼んでスローガンを垂れ流し、それに共感する首相が政権を維持、緊急事態条項で改憲しようとしている。悪夢です。過去を直視できず、それを指摘すると、批判の嵐に見舞われます。『アメリカには負けたが、中国には負けていない』と、まるで中国との戦争が継続しているような印象です。さらに、日本書紀への言及、国家神道の再構築にまで及んでいます」

石田「そういう日本は、国際社会から孤立し、活躍できなくなる。内向きの社会になっていきますね」

iwj.co.jp

 

自虐史観・自虐志向と呼んでスローガンを垂れ流し、それに共感する首相政権は絶対悪だってことを覚えておこう!