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島根県庁焼き打ち事件

1945年の今日、島根県松江市で事実上のクーデター、島根県庁焼き打ち事件が起きた日です。皇国義勇軍事件と称される場合もあります。この事件をきっかけに島根県庁舎が全焼したり、死者が出るほどの大惨事となりました。なお、この事件は知事検事正暗殺も企図されていたが、足並みが揃わず失敗したうえ、全国に決起呼びかけを行うため放送局に集結したが、放送局長はこれを固く拒否したためこれも失敗(報道規制も影響して全国にクーデターが波及されなかった」、警官・軍隊が放送局を包囲し、リーダーを含む全員が検挙され鎮定された、ある意味3段オチともいえる失敗クーデターとなりました。また、大日本帝国憲法下における全国的規模の騒乱を目的とした最後のクーデターでもあります。

これが燃やされる前の島根県

 

Matsue riot incident.jpg島根県庁舎は全焼した写真。

 

約1か月後に載せられた朝日新聞による島根県庁焼き打ち事件記事。

 

トリビア

*この事件を起こしたリーダー、岡崎が無期懲役を言い渡されたあと実2度の減刑令の対象になったため、実際に刑に服したのは6年7か月となりました。ただし、出所後の生き方を見る限り、決して恩恵的なものではなかったうえに、死を賭したクーデターが失敗したうえ、粛々と刑に服することも許されず恩赦によって戦後社会へ返されるという、屈辱としかなかったようです。

*内藤正中によると、「首謀者の岡崎は憲兵隊・松江連隊・美保基地航空隊の抗戦派将校らと連絡を取り合っており、なかば公然と計画を進めていた。もし一斉蜂起が計画通りに進んでいれば、大事件に発展していた」と発言しています。

*焼き討ちにあった島根県庁には2000人を超える群衆が集まったが、率先して消火作業にあたる者はなく、みな黙ってみつめるだけ。しかも、島根新聞の小田川記者の証言によれば、「群衆は静かに燃える県庁を目の前にして、日本の今後を思い茫然自失の状態であった」とされ、ほかの資料によると終戦当日まで松江市民が当局に「政府の方針だ」「間引き疎開だ」と痛めつけられていたためか、群衆のなかには心の中もしくは声を上げて「天皇の名で悪政を敷いた役人たちの泣きツラが見たい」「ざまあみろ、おれたちの家を倒した天罰だ」などと叫んだ者もいたとされている。それほどいじめられてたんですね市民は。

 

crd.ndl.go.jp

松江騒擾事件 - Wikipedia