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ルールを逸脱した「日米貿易協定」に海外からの厳しい目:日経ビジネス電子版

日米貿易協定が10月24日から国会審議に入った。最大の焦点は、私が当初から指摘してきたように米国の自動車・自動車部品関税となっている。しかし大事なことは、「事実に基づく政策論議」だ。これが今の日本に欠けている。国内でしか通用しない、都合のいい解釈論とは仕分けすべきだ。

 重視すべきこの協定の自動車関税に関する「事実」とは、以下の2点である。

 (1)日米両国で署名された文書にどう書かれているか
 (2)相手国である米国側がどう対外説明しているか

 (1)については、すでに指摘したように(関連記事:日米貿易協定から「自由貿易」が消えた!)、 「自動車・自動車部品関税の撤廃に関して更に交渉する」としか書かれていない(日米貿易協定の原文=、119ページを参照)。これを「さらなる交渉による関税撤廃」と意訳して発表したり、「将来における関税撤廃を約束した」と解釈したりしている。これは、明らかに事実から逸脱している。

 (2)については、米通商代表部(USTR)のライトハイザー代表が9月25日の記者会見で「自動車・自動車部品はこの協定に含まれていない」と2度も明確に説明している。そしてこれはホワイトハウスが公表している。日本のメディアはなぜかこれに触れていない。もしもこのライトハイザー発言が日本政府の見解と相違があるならば重大な問題である。即座に米国政府に反論していなければならないが、今のところ反論した形跡はない。

 こうした「事実」を直視すると、自動車・自動車部品関税の撤廃を米国が約束したような「強弁の解釈」は国内向けと言わざるを得ない。

 大事なことはこうした言い逃れに終始するのではなく、「事実」を前提に、それでもこの協定を結ぶべきだという堂々とした政策論での説明だ。

ルールを逸脱した「日米貿易協定」に海外からの厳しい目 (2ページ目):日経ビジネス電子版

メキシコ、EUなどから厳しい声

 なぜ、こうしたことを言うのか。それはこの協定が海外からは厳しい目で見られているからだ。こうした協定に他国がWTO提訴をしてくるわけではないが、どういう目で見ているかが、今後の日本の立ち位置に大きく影響してくる。

 環太平洋経済連携協定(TPP)参加国のうち、オーストラリアやカナダなど農産物の対日輸出で米国と競合する国々は、TPPで得た自国の有利な状況を失うことから日本政府に問い合わせをしてくるのは当然だ。

 それだけではない。「中略」

 例えば、メキシコのグアハルド前経済大臣も今回の協定がWTOルール上疑義がないか、日本の関係者に内々に問題意識をぶつけてきている。

 さらにかつてWTOドーハラウンドでルール交渉を担当していたEU関係者からは厳しい声も聞こえてきた。それはかつて、ドーハラウンドで日本政府が表明していた見解とのギャップだ。そこには、WTOルールが形骸化するのを防ぐために、規律を明確化する目的があった。その一つが今回焦点になっている自由貿易協定(FTA)に関する規定だ。

 FTAの関税撤廃は「妥当な期間内に」行うルールになっているが、その「妥当な期間内」の解釈があいまいなので明確化すべきだという議論である。WTOの解釈では「例外的な場合を除いて10年を超えるべきではない。超える場合はその必要性の十分な説明をしなければならない」とされており、日本政府はこの規律を強く主張していた。EUも途上国のみその例外が認められるとの厳しい立場だった。

 その日本が、日米貿易協定では期限を明示しない関税撤廃でもよいとして規律を形骸化するのは言行不一致ではないか、との厳しい受け止め方をされている。10年を超える場合も時期を明示することは当然の前提になっている。時期の長短の議論はあっても時期を明示しないものはあり得ないとの認識だ。

ルールを逸脱した「日米貿易協定」に海外からの厳しい目 (3ページ目):日経ビジネス電子版

 

中間協定」という「強弁の解釈論」まで飛び出す混乱

 そうした海外の厳しい目をよそに、国内の議論はますます混乱している。

 「強弁の解釈」の一つとして、「今回の合意は『中間協定』として認めてよい」と、ある学者のコメントが最近メディアに掲載されていた。これは一般人にはわかりづらいので、これまであえて言及を避けていたが、この記事によって誤解が広がることを懸念する。率直に言ってこの解釈には明らかに無理がある。

 多少専門的になるが、WTOルールにおいてはFTAに関する「中間協定」への言及がある。そこで「今回の合意を中間協定として位置づけて、WTOルール違反との批判を逃れよう」との意見が政府の一部にあり、一時検討されたのは事実だ。

 しかしその中間協定については「妥当な期間内にFTAの要件を整えるための『計画及び日程』を含まなければならない」という規定がある。現在の日米貿易協定にはそれがないため、この解釈は無理だと判断された。こうした事情があるので、日本政府は中間協定としては位置づけることをしていないのだ。

 それにもかかわらず、こうした問題のある解釈を一部のメディアが報道している。知らない一般人は真に受けてしまう。

 いずれにしてもこうした法解釈論が本質ではない。もっと大きな政策論が必要だ。

脱「町人国家」の堂々たる政策論を

 国会を乗り切るために事実をゆがめるような解釈論に汲々(きゅうきゅう)とするのはいただけない。今、日本に必要なのは、事実をきちっと国民の前に提示して、政策の選択の是非を問う堂々とした政治ではないだろうか。それが政治の責任だ。官僚もそうした糊塗(こと)するための姑息(こそく)な知恵ばかり絞るようになっては、この国の将来にとって深刻だ。

 当初FTAという言葉を避けるためにTAG(物品貿易協定)という用語をどこからともなく引っ張り出して批判を避けようとしてみたり、日米の合意文書の英語を素直に訳さず意訳して取り繕ったり、関税の撤廃時期を明示しなくても許されるとの都合のいい解釈をしてみたり……。正直、何とも切なくなる。

 「中略」

 ただ、そうした譲歩も無原則であってはならない。越えてはならない一線はどこなのかを常に意識しながらの譲歩であるべきだろう。その一線はどこなのか。それを問うための政策論が、今こそ日本に必要だ。

 かつて日米貿易摩擦が華やかなりし頃、「町人国家論」が唱えられた。武士の無理難題を飲み込まざるを得ない町人に日本を見立てての論だ。

 問題は今の日本がかつての「町人国家」と同じかどうかだ。米中がパワーゲームを繰り広げて、国際秩序を崩壊の危機にさらしている今日、日本は単なる「町人国家」でいいのだろうか。日本の国際的な立ち位置も大きく変化している。

 日本は利害の調整が難しいTPPを米国抜きでまとめ上げた。中国の構造問題への対処で犬猿の仲の米欧の橋渡しをしながら、日米欧連携を引っ張っている。データ流通のルール作りを「大阪トラック」と称して主導している。こうしたグローバルなルール作りを着々と主導しているのが、かつてはなかった今日の日本の姿だ。

 そして何よりも大事なのは、中途半端な国内市場しかない日本は、米中のような巨大な国内市場を背景にしたパワーゲームはできない。日本の命綱はルールしかない。

 そうした日本が自らルールを空洞化、形骸化させる先例になったら、今後の他国との通商交渉にどのような影響を与えるかも直視すべきだろう。事実を糊塗せず国民に提示して、トランプ大統領対策としてどこまで譲歩を甘受すべきか。そのプラス・マイナスについて正面から政策論争をしてもらいたいものだ。

 

そんな要求を安倍政権が受け入れるわけないと思うぞ!細川のあんぽんたん!!そしてお前は絶望あおるだけの虫けら人間だ!!!!おめーのことだよ細川昌彦

中部大学特任教授(元・経済産業省貿易管理部長)!!!!