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戦争マラリアをしってるかい?_

今週の一言
沖縄「戦争マラリア」が私たちに問うもの
〜住民犠牲の歴史から考えるコロナウイルス感染拡大と危険性〜
2020年5月25日

大矢英代さん(ジャーナリスト・ドキュメンタリー映画監督)

 

 「コロナウイルスの感染拡大と『戦争マラリア』は似ているのですか?どんな共通点がありますか?」
 このような質問を拙著の出版以降たびたび受けるようになりました。
 私の最新のルポルタージュ『沖縄「戦争マラリア」〜強制疎開死3600人の真相に迫る』(2020年2月17日・あけび書房)は、1945年の沖縄戦の最中に起きた「もうひとつの沖縄戦」と呼ばれる「戦争マラリア」を10年にわたる現地取材で追ったノンフィクションです。戦時中、日本軍の軍命によりマラリア有病地へ「強制移住」させられ、死亡した3600人以上の一般住民の悲劇の真相を、体験者への取材や、日本軍の作戦資料などを紐解きながら明らかにしました。
 「戦争マラリア」から75年、コロナウイルスの感染拡大が広がる今だからこそ、過去の教訓を学ぶ時だと思います。

1:地上戦なき島々の沖縄戦
 そもそも「戦争マラリア」とはなにか。おそらく、拙著のタイトルを目にした多くの方々が最初に抱く疑問だと思います。2009年夏、「戦争マラリア」を初めて知った時の私もそうでした。
 当時、将来のジャーナリストを目指して早稲田大学大学院で学んでいた私は、石垣島八重山毎日新聞社でのインターンシップをきっかけに、偶然「戦争マラリア」を知りました。
 それは1945年、沖縄戦最中の八重山諸島波照間島石垣島、黒島などの離島からなる日本最南端の地域)で起きました。当時、八重山諸島に駐留していた日本軍は「米軍上陸」を口実に、一般住民たちに対し、山間部のジャングル地帯への「移住」を命令しました。軍は移住先を細かく指定。それらは、ハマダラ蚊が媒介する恐ろしい熱病・マラリアの有病地として、昔から住民たちに恐れられてきた場所でした。医療も食糧も乏しい中、ジャングルの中に粗末な丸太小屋をたてて生活を続けた住民たちでしたが、次々とマラリア蚊の犠牲になり、3600人以上が死亡しました。
 軍命による強制移住、それが引き起こしたマラリアによる病死。これが沖縄で「もうひとつの沖縄戦」と呼ばれてきた「戦争マラリア」です。

 「戦争マラリア」を初めて知った当時の私は、大きな衝撃を受けました。米軍の上陸も地上戦もなかった島々で、大勢の一般住民が犠牲になったこと。なによりも、相手国の軍隊ではなく、自国軍によって犠牲がもたらされたことにショックを受けました。
 「証言者がつぎつぎと高齢化で他界する中、歴史を伝え残すのは今が最後のチャンスなのではないか。」
 そんな思いで、私はビデオカメラを抱えて石垣島で取材をはじめました。千葉県出身の私にとっては親戚も知人もいない土地での取材。家族が犠牲になった辛い体験を気軽に話してくれる体験者などいませんでした。「だからこそ、本腰を入れて取材をしよう」と決意し、大学院に1年間の休学届を出しました。向かったのは、日本最南端の島・波照間(はてるま)。戦争マラリアで最も大きな被害を受けた島です。8ヶ月間、体験者とひとつ屋根の下で共同生活をしながら現地取材を続けました。毎日8時間、体験者たちと一緒にさとうきび畑で働き、少しづつ心を開いてくれる姿をカメラに記憶し、人々の言葉をペンで記録しました。(波照間での取材については本書第2章「島で暮らしながら撮る」で紹介しています)

 大学院卒業後、沖縄の民間テレビ局で報道記者として5年間勤務し、米軍基地問題自衛隊配備問題などの現場を取材したあと、フリーランスとして初めて制作したのがドキュメンタリー映画沖縄スパイ戦史』(三上智恵との共同監督、2018年7月全国劇場公開)です。
 映画のテーマは沖縄戦の「裏の戦争」。日米による激しい地上戦そのものではなく、その背後で活動していた日本軍の「スパイ」に迫りました。陸軍中野学校でゲリラ・スパイなど特殊作戦の教育を受けて沖縄に送り込まれた42人の軍人たちです。
 彼らによって訓練され、日本軍の作戦に駆り出され、銃を持って米軍と闘わせられた少年兵・護郷隊。「米軍のスパイではないか」と疑心暗鬼になり、互いを監視し、傷つけあった住民たち。日本軍がどのように住民たちを作戦に利用し、時に武器を持って戦わせ、そして住民たちが軍にとって「不都合な存在」となった時、一体何が起きたのか。戦後これまで語られてこなった沖縄戦の最も深い闇を「スパイ」というキーワードで描きました。それこそが沖縄戦の悲劇であり、日本軍が展開した真の作戦であり、その中にマラリア有病地へと移住させられた八重山諸島の人々も飲み込まれていました。
 映画では伝えきれなかった10年にわたる「戦争マラリア」の取材成果をまとめたのが本書です。

2:戦争マラリアをめぐる誤解
 「戦争マラリア」については、沖縄県の地元メディアを中心にこれまで多くの報道や調査がなされてきました。特に、1989(平成元)年、戦争マラリアの遺族たちが国家補償請求運動を起こしてからは全国メディアでもこの問題が報じられてきました。
 それでもなお、多くの誤解が「戦争マラリア」問題の本質を歪めてきたように思います。

 最も顕著なのは、「戦争マラリアは単なる戦時中の病死」というものです。「戦時中、日本軍が命令を出したのは、米軍から住民を守るための『安全のための避難』で、山に隠れていた住民たちが不運にもマラリアで犠牲になった」というような誤解がよく見受けられます。これは事実誤認であるだけではなく、戦争マラリアの本質、つまり軍隊による加害責任が放置されるという大きな問題があります。
 本書では、「戦争マラリア」を起こした強制移住がなぜ起きたのか。日本軍の作戦計画書や資料などを紐解きながら、背景に迫りました。詳細は本書をご一読いただきたいのですが、以下、3つの重要な点を抑えていただきたいと思います。

・日本軍はマラリアの危険性を知っていた
 日本軍(第45旅団司令部)は八重山諸島への駐留にあたり、一帯のマラリア有病地の調査し、有病地の地図を作っていた。山間部に住民を移住させることでマラリア罹患の危険性があることは周知していた。

強制移住は住民保護のためではない
 日本軍にとって沖縄作戦の難題は「住民対策」。住民が米軍の捕虜になったときに、日本軍の情報が漏れるような事態は絶対に阻止しなければならなかった。しかし、戦争準備のために地元住民の協力は不可欠。日本軍は、住民の協力を得ながら軍事作戦を進めると当時に、住民による情報漏洩を防止するという、大きな矛盾をはらんでいた。
 八重山諸島では、日本軍の駐留後、住民たちが軍の航空基地建設に駆り出されるなど、綿密な「軍民一体」の関係性が出来上がっていた。島という閉鎖的環境において、軍隊にとって住民は食糧確保のために不可欠な生産者であり、基地建設のための労働者であった。しかし、戦況の悪化と共に、住民は「軍事機密を知りすぎる存在」とみなされていった。それを回避するために、日本軍は一般住民を軍隊の監視・管理下に置くこと、つまり山間部への強制移住という手段にでた。住民が米軍の捕虜となり、「スパイ」として日本軍の情報を漏らすのを防ぐためである。
 また住民の「移住」については、命令系統や移住地の指定など、沖縄戦開戦前より詳細かつ徹底的な計画方針が決められていた。

・日本軍は特効薬を確保していた
 作戦記録『八重山兵団防衛戦闘覚書』(第45旅団司令部高級参謀陸軍少佐・東畑広吉氏が戦後書き残したもの)には日本軍のマラリア対策について「幸い台湾熱帯医学研究所及び在石垣島医師会の絶大なる協力により、軍全般には防疫対策徹底したる」とある。マラリア有病地の調査により、有病地を把握した第45旅団は、マラリア特効薬「キニーネ」を確保し、野戦病院での保管などの対策を徹底した。しかし、徹底したマラリア対策はあくまで軍隊のためのものであり、特に上官用のためのものだった。末端の兵士や、一般住民たちの手に特効薬が行き渡ることはなかった。同覚書の続きにもこう記されている。「軍全般には防疫対策徹底したるも住民全般には及ばず、多大の犠牲を払うに至る」

 つまり、「戦争マラリア」とは、単なる戦時中の病死ではないのです。日本軍による計画的かつ意図的な「住民対策」に根本的な問題あります。その結果として、3600人にものぼる一般住民の犠牲が生じました。
 無論、当時の住民たちはまさか自分たちが日本軍から「スパイ」の疑いをもたれていることや、強制移住の背景にある日本軍の作戦など、知るよしもありませんでした。そもそも、住民を軍事作戦に都合よく利用し、協力させながらも、軍事機密の漏洩を防止するという軍の作戦は無謀としか言えません。軍隊と住民が共存したことでもたらされた悲劇、危険性こそが、沖縄戦の教訓です。沖縄戦を生き抜いた体験者たちが口を揃えて「軍隊は住民を守らない」と語る根本には、この歴史があるのです。

3:公のために個を滅する日本人の史観
 「移住は軍の命令だった。つまり、それは天皇の命令。当時の僕は、天皇のために尽くすという、それ以外の人生を考えられなかった。それ以外の世界を知らなかった。軍国主義の日本に尽くす人間って、それが宿命と感じていましたから」
 こう話すのは、強制移住当時12歳だった潮平正道さんです。潮平さんは戦時中、深刻なマラリア被害が出た移住地のひとつ、石垣島中央部の於茂登(おもと)岳の中腹、白水(しらみず)へ移住を命じられました。
 徹底的な軍国教育を受けた当時の人々にとって、軍の命令に疑問を持つこと、ましてや逆らうことなど論外だったと潮平さんは語りました。
 「戦争になると、国家は『国』というものを大事にして『民』を犠牲にする。でも『国』は『民』があって初めて成り立つものでしょう? 戦争になるとね、そんなことも国民は忘れてしまうんですよ。八重山の人たちも、『お国のため』『天皇のため』と言って、マラリアで死ぬと分かっていながら軍の命令に従ったんだから」
 潮平さんのこの指摘は、「戦争マラリア」の根幹の問題を示しています。国家や社会、軍隊、天皇など様々な名を借りた公権力を守るために個を犠牲にする、日本人特有の史観です。
 果たしてこれは、75年前に終わったことなのでしょうか。

 私には、コロナウイルス感染拡大の日本社会において、この傾向がますます強くなっているように思えてなりません。
 コロナの影響で先の見えない生活に苦しむ国民に対し、「マスク2枚」「牛肉券」など現実離れした政策を打ち出し、「先手先手の対策」どころか全てが「後手後手」になった安倍政権に対し、国民の批判が高まっています。そんな中、ツイッターなどのSNSでは、安倍政権への批判に対し「今は国難なんだから政権批判するな」などの声が見受けられます。しかし、政府が打ち出す政策が国民にとって有益とは限らず、むしろ一般住民が最大の犠牲を払う結果になりえることは、「戦争マラリア」の歴史が証明しています。「国難」を口実に公権力を支持し、批判的思考を停止し、沈黙を推奨し、個を滅する風潮がますます増えていく、そんな社会の行末にはどんな未来が待っているのでしょうか。 

 75年前の「戦争マラリア」を引き起こした、あの犠牲の構造は今も私たちの足下にあります。「戦争マラリア」から私たちが学ぶべきことは、まだまだ蓄積されています。私たちが戦後75年間置き忘れてきた「教訓」を、今こそ多くの国民が学ぶ時だと思います。二度と国家に騙されない、犠牲にされない国民として生きていくために。

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